《魂の中小企業》飲みに来ないか、魔法の水を

2012年01月10日(火)掲載

朝日新聞で弊社代表の藤原賢一が紹介されました。

■中島隆(中小企業専門記者)

前回のおさらいです。福島は郡山市に、藤原賢一(55)という男がいます。居酒屋の全国チェーン「村さ来」のうち、岩手、宮城、福島の3県にある店の運営会社をいとなんでいます。
役員をしていたレストランが裏社会に飲みこまれてしまいました。藤原は覚悟をきめ、関係を断ち切ります。そのレストランは巨額の負債をかかえていました。藤原は社長になってすべてを背負い、みずからの財産をうしないます。
「おれは従業員をまもる」という決意があってのことです。そして1997年、いまの会社をつくるのです。
東日本大震災で被災した3県の「村さ来」は、みごとに復活しています。福島原発の警戒区域で立ち入りできない、浪江町の店をのぞいて。
今回は、大震災から4カ月、昨年7月のとある夜からはじまります。

その夜、藤原は、会合に参加するため、郡山市内のホテルの宴会場にいた。壇上で、1人の男が近況を報告しはじめた。
「将来のビジョンなど、まったくありません」
鈴木昭孝、54歳。浪江町で「なみえ焼そば」などの麺をつくって半世紀をこえる「旭屋」の2代目だ。原発事故で、鈴木は避難所などを転々、そして郡山にたどりついていた。
震災のまえ、鈴木の会社は快進撃をつづけていた。焼きそばはもちろん、学校給食にだす麺も好調だった。
そんな矢先の原発避難。12人いた従業員はバラバラに。さらに、妻は体調をくずして入院。おさない子どもふたりは、東京の親戚に預けることに。家族も引き裂かれていた。
報告をおえた鈴木が、たまたま藤原がいた丸テーブルの席に座った。藤原は、自身に問いかけた。
〈おれは飲食店をいとなんでいるよな? おれに出来ることがあるよな?〉
そして、鈴木に話しかけた。「うちのメニューに、焼きそばを入れる気があるかい? その気があるなら、おれ動いてみるよ」
お願いします、といわれた藤原はロビーにでて、東京にいるメニューの開発担当者に電話をかける。話をつけた。
その夜、藤原と鈴木は、しこたま飲んだ。鈴木は、おおいに笑った。藤原は、酒を「魔法の水」と呼ぶ。絆をふかめ、心をいやし、あしたの活力を充電してくれる。
そして10月、全国の「村さ来」のメニューに「なみえ焼そば」が登場した。鈴木は麺づくりを、仙台の製麺所に委託している。うどんに間ちがえるほどの太い麺が、大人気だ。
その後の鈴木は、バタバタと忙しい。兵庫の姫路市であった「B―1グランプリ」の会場で、鈴木は「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」の裏方をした。ご当地グルメの祭典で、みごと4位になった。
白いワゴン車を運転し、商品をはこび回る。新幹線で郡山と仙台を往復する。携帯電話にかかってくる問い合わせや注文に対応する。すべて1人でこなしている。「でも、仕事をしている実感がありません」事務所にきちんと固定電話を置いて、作業服をきて、麺をつくって。従業員らと話しあい、笑いあい。そんな震災前の日々とくらべると、しっくりこないのだ。だから、製麺所をつくる、と決めた。早ければ桜のころから、鈴木がつくった麺が、学校給食にでる。
この年の瀬のある夜、鈴木は郡山で借りた一軒家にいた。家族みんなで暮らすつもりだったので、ひとりぼっちのいま、やたらと広い。携帯電話がなった。「鈴木さん、飲みに来ないか?」。藤原からだった。店では、みんな笑顔で待っていた。夜通し、魔法の水に酔った。

ことしの3月11日、郡山市で、「福魂祭(ふっこんさい)」という5千人規模のイベントが開かれる。厳粛なセレモニーや、有名ミュージシャンたちの演奏がある。犠牲者を鎮魂し、手をさしのべてくれた世界中へ感謝をあらわしたい。ふくしま再生を宣言したい。そんな思いで、郡山の中小企業家同友会、商工会議所、青年会議所などの若手があつまり、内容をねってきた。彼らもまた、藤原の店で「魔法の水」をくみ交わし、組織の垣根をこえた。藤原が、委員長である。(敬称略)